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ぽちぶろぐ

真田氏、万年筆、灯台など興味あることを徒然に書いてみます。

安居神社御朱印

さて、真田氏を訪ねる旅、と言えば誰もが上田市、真田町を思い浮かべるでしょうし、ボクも非常によく訪れているおなじみの場所です。しかし、ここはあえて後ろから行ってみましょう!

 と言っても、真田信繁の最期からですが。

 ちょうど今年(2016年)の大河ドラマでクライマックスに迫っている時期ですから、信繁(幸村)最期の地の御朱印から紹介しましょう。実はボクの御朱印旅もここがスタートです。初の御朱印帳もこちらで買い求めました。オリジナルの御朱印帳があるかと期待しましたが・・・。この時点で真田関連(六文銭や結び雁金などの家紋入りとか)の御朱印帳があったのは後に紹介する松代町長國寺と上田城にある眞田神社だけでした。出かけられていた宮司さんが戻ってこられたので、無事にいただくことができました。 

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 真田ファン歴の方が御朱印歴よりもずっと古いのですが、あるとき、「せっかくゆかりのお寺や神社を巡っているんだから、真田氏ゆかりの地の御朱印ももらったら、いい記念になるのでは?」とふと思い立ち、ちょうど安居神社を訪問しようとしていたときだったので、御朱印スタートは安居神社となりました。

  安居神社はもともとは信繁とは何の縁もないところでしたが、元和元年(1615年)5月6,7日、大坂夏の陣で信繁が徳川家康の陣に三度まで突撃し、家康に自決まで覚悟させるほどに迫ったが、多勢に無勢、押し返され、安居神社で休んでいたところを松平忠直隊鉄砲組頭の西尾仁左衛門宗次に討たれたとのことです。信繁は「儂の首を取って手柄とせよ」と言ったとか。しかし実際は安居神社で休んでいた信繁隊を襲撃し、雑兵と共に討たれ、それが有名な信繁だとは気づかれなかった、という説もあります。前者はあまりに劇画的で、いかにも戦国武将の最期っぽい台詞であることから、後日の物語から生まれた逸話でしょう。だいたい写真とかが発達した時代でもなかったわけですし、有名だったとしても信繁本人の顔を知っているわけもないですからね。首実検の時に信繁の叔父である真田信伊も信繁の首を見てもそれが自分の甥だとわからなかったようです。まあ、九度山に15年も幽閉されて顔を合わせていなかったのですからわからなくても当然ですよね。それに刎ねられた首だけだったら顔も生前とはだいぶ違うでしょうし。

 大阪に行くと必ず寄る安居神社ですが、ここに来るといつも胸と目頭が熱くなります。神社の境内には亡くなったとされる一本松の下に有志による信繁像があります。

(安居神社関連の写真は後日アップします)

像の手に触れると、この地まで生きた信繁公に対面したような気になります。信繁公最期の地ですが、お好きな方には是非訪れていただきたい場所です。