ぽちぶろぐ

真田氏、万年筆、灯台など興味あることを徒然に書いてみます。

皇大神社御朱印

 本日は真田町にある真田氏関連の神社をば。御朱印は山家神社でいただきます。

皇大神社は真田町にあった真田屋敷跡に建つ神社です。跡地はゲートボール場に利用されていますが、敷地には塀(堀)の跡などが今でもはっきりとわかります。城としては松尾城(真田本城)の時代ですが、城に住んでいたのではなく、普段、居住していたのはこっちの屋敷で、いざというときなどに山上の松尾城を利用していたようです。正確な使い分けはわかりませんが、岩櫃城も麓に居館跡があって、やはり普段は居館で生活していたようです。真田町にある真田氏城跡はだいたい行きましたが、どれも険しい山城で、毎回へとへとになります。当時はもうちょっと整備されていたと思いますが、何にしても普段使いとしては不便でしょうねえ。

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御祭神は天照大神、相殿が豊受大神。昌幸公が松尾城から砥石城へと移転する際、居館跡を伊勢神宮から天照大神の御分霊を奉斉したようです。

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建物(屋根上)が周辺の神社と異なり、特有の堅魚木や千木からいかにも伊勢神宮系統を伺わせますね。皇大神社という名称からも御祭神が天照大神であることがすぐにわかります。鳥居も神明鳥居です。

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ただ、参拝者に向かって屋根の瓦が流れている向きから祀られているのが天津神であること、堅魚木の本数(偶数)から女性神であることを示していますので、御祭神が天照大神であることと一致しますが、千木が外削ぎになっているんですよねえ? 写真では見にくいですが。女神である天照大神を祀っているのなら、千木は内削ぎになると思うんですけど・・・?

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それから、天照大神をお祭りしている神社は「皇大神社」、「神明神社」、「天祖神社」などの名称で呼ばれますが、皇大神社は普通は「こうたいじんじゃ」と呼ぶはずです。案内板が正しければ、こうだいじんじゃというとうに、"大"を"だい"と濁って呼ぶようです。この辺、どなたかご存じの方はいらっしゃいませんかね?

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皇大神社

長野県上田市真田町本原2964番地