ぽちぶろぐ

真田氏、万年筆、灯台など興味あることを徒然に書いてみます。

『真田丸』最終回を見て

 日曜日は仕事のため、放送時刻に見られませんでしたが、月曜に拝見できました。

www.nhk.or.jpもうずーっと涙が溢れてしょうがなかったんです。

ティッシュの山ができたw

細かいストーリーに、「なんでやねん!」と言いたくなることもありましたが、泣けてきましたね。

さてさて、なんでそんなに涙を流すようなことだったかというと・・・。

 

まずは幸村と三十郎との惜別。

三十郎が押し寄せてきた幸村隊に、無謀にも信政がへっぴり腰で突っ込もうとしたのを押しとどめ、隊の先頭に幸村(三十郎には信繁かな)を認めると、いっぺんにいろんな感情が湧き出したのか、槍を取り、馬上の信繁目がけて突きかかります。信繁は軽くいなして三十郎を押し倒すと、

「小物にはかまうな!」

と下知して颯爽と去ってゆきます。三十郎は倒れたまま、涙ながらに信繁の後ろ姿を見つめ続けました。三十郎は真田家家臣の中では最も好きなのですが、信繁の背中を涙を流して見つめる三十郎は間違いなくそのまま背中を追いかけついて行きたかったに違いありません。ここで涙が溢れてきます。真田隊にいた堀田作兵衛が三十郎に寄って来て肩を掴みます。お互い、信繁に付き従ってきたもの同士、通じるものがあったのでしょう。

 

それから堀田作兵衛。

家康を単騎追いかけようとする幸村から注意をそらすべく、

「こっちじゃあっ!」

と大声で叫び、両腕を大きく広げます。

その声につられて、幸村を狙っていた銃兵は一斉に作兵衛に発砲!

体の阿智庫にを銃弾に貫かれてよろめきますが、致命傷がなかったのか、そのまま敵に突っ込んでいきます。

作兵衛はそこで終わりか、と思ったのですが、場内で作兵衛が作っていた畑を踏み荒らす敵に逆上して蹴散らしたのですが、そこで力尽き、姪であるすへの行く末を案じながら畑の中に倒れ伏します。作兵衛にとってすへは自分の子供同然なのでしょう。

三十郎同様、真田の里から信繁に付き従い、九度山の15年間のブランクもはね除けて、信繁の元に参じた作兵衛。こう書いているだけでも思い出されて泣けてきますね。

 

 そして、高梨内記

昌幸がなくなった後、信繁と九度山に残った家臣は三人いたのですが、真田丸では内記のみが登場しています。きりの父親ですね。真田丸では信繁ときりとは精神的つながりだけで終わっていますが、実際は子供も生まれています。で、内記ですが、大助を城中奥の秀頼の所へ行かせると、自分は後から来る敵を防ぐために廊下に陣取ります。老齢もなんの、孤軍奮闘しますが、多勢に無勢、次々と押し寄せる敵にとうとう打ち倒されてしまいます。

廊下に大の字に倒れ、懐から昌幸の位牌を取り出して何かをつぶやきますが、そこで力尽きます。昌幸にこれからそちらへ行くと語りかけたのでしょう。信繁に大助の面倒を見るように言われてからはまるで孫の相手をするように嬉々として大助の相手をする内記だったから、大助の元には一兵も通さないという気持ちだったのかもしれません。

 

 部下が次々と倒され、幸村単騎で家康の元に向かいます。影のように従う佐助のみ。野原で座っている家康に本多正純が慌てふためいて幸村のことを注進します。

「またか!」

何度も何度も家康を阻み狙う幸村に心底うんざりしているのでしょう。でも、やはりここは、

「また真田か!」

と言ってほしかったなw 僕の真田丸的流行語は「だまれ、小童!」ではなく、

「また真田か!」

です。

幸村は馬上筒で家康を狙います。幸村が家康を銃で狙撃しようとしたことは史実のようです。近年、幸村が使用した馬上筒が発見され、確定的となりました。実際は馬上筒のトラブルで狙撃自体ができなかったようですが、もし発射されていたら、少なくとも歴史は多少は違っていたでしょう。ドラマでは無事に発砲はできたようです。二丁目の銃を家康に向けて構えると、部下達が家康の盾になるべく、家康と幸村の射線上に身を投じます。が、演出の関係でしょう、幸村の銃口は家康を捉えていますから、「盾になっとらんがな!」と思わず笑ってしまいました。

 その後、秀忠の介入もあって、幸村は撤退し、安居神社の境内と思われる場所で佐助と休息しています。雑兵と思われる兵が近づいてきて幸村を討ち取ろうとしますが、佐助と二人で返り討ちに。歴史書では福井の西尾氏に討たれたことになっていますが、実際には安居神社に押し寄せた敵兵に部下共々討ち取られ、屍をさらした、とされています。ただ、この説にはいささか疑問があって、幸村は他の雑兵とは明らかに格の違う装備をしていたはずで、それこそあの目立つ鹿角の兜を被るなり持っているなりしていたはずです。もちろん、甲冑や得物も立派だったはずで、賞金首の幸村をただ雑兵と同じように討ち取ってしまうのでしょうか?

 真田丸では佐助に介錯させて自害する直前で終わっています。

この辺、ちょっと矛盾と不満がありますね。

部下達はある意味、往生しているのに、幸村だけが自害を選ぶ、しかも散々、「あきらめなければ・・・」と言ってきたのに、まさに自己矛盾です。それからやはりちゃんと結論を付けてほしかった。

これもドラマの手法でしょうが、逃亡するにしろ、討ち死にするにしろ、この表現では部下達の方が立派に見えてしまいます。ネットなどの感想では概ね評価が高いようですが、僕には少々消化不良で残念でした。同じく、淀君や秀頼といった豊臣側の最期、そしてそれに従っていた大助の結末もぼやかしすぎでしょう。脚本家の三谷幸喜氏が言うように大河『ドラマ』なのですが、歴史を背景にしている以上、曖昧に終わらせるのはどうかと思います。ドラマ的にも部下の最期と比較して印象が乏しく思うのは僕だけでしょうか。

 

何にしても、1年間、50回の『真田丸』はこれで終了です。

毎週日曜日の楽しみがなくなりましたが、日曜20時にテレビを見るために部屋に戻らなくては、という強迫観念はなくなりました。もちろん録画していますが、同時性というのも大事でしょ?

残念が9割、ほっとしているが1割、かな?

これで真田町や上田、九度山、大坂、その他縁のあった地域も徐々に落ち着きを取り戻すでしょう。以前の『真田太平記』を知っている世代の方は冷静に捉えていると思います。日本人は割と熱しやすく冷めやすい民族だと思います。真田人気も一段落するかもしれません。僕は真田丸からのファンではないので、熱が引くことはなさそうです。