ぽちぶろぐ

真田氏、万年筆、灯台など興味あることを徒然に書いてみます。

蓮華定院御朱印

真田昌幸・信繁親子が蟄居していた九度山にある善名称院の御朱印を紹介しましたので、次は高野山にある蓮華定院の御朱印をご

紹介します。

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 昌幸公・信繁公は高野山蓮華定院に幽閉される予定でした。蓮華定院は真田家の高野山での宿坊でした。もともと、蓮華定院は小県の豪族が宿坊契約をしていたという縁もあって真田氏も宿坊としたのでしょう。後に信之公は蓮華定院を松代藩高野山菩提寺としました。しかし、昌幸・信繁親子は蓮華定院にいったん入ったものの、すぐに高野山の入り口(登山口?)に当たる九度山に居を移します。この理由には諸説あり、信繁が妻や側室を伴っており、女人禁制である高野山に入れなかった、高野山があまりに寒くてとても耐えられなかったなど、いろいろと取りざたされていますが、一般には前者であると考えられているようです。ちょっと不思議というか、徳川家にとって流罪人である二人にそれで便宜を図ってくれるというのは意外な感じもします。寒さ云々は真田出身の二人が果たして高野山で寒さに耐えられないと思うのか、少々疑問な気がします。真田は冬場はかなり寒く、けっこう雪も降りますから、高野山とそれほど条件が違うとも思えませんしね。

 ともかく、九度山に蟄居することとなったのですが、蓮華定院とは山の上と下という距離で、信繁公が蓮華定院に行くこともあったようです。和尚と碁を指していたとか。蓮華定院には信繁公の手紙(模写)なども展示されています。蓮華定院は現在でも宿坊ですので、予約して宿泊することもできます。観光だけで訪れても内部を拝見することはできませんので、中を見てみたい方はぜひ宿泊してみてはいかがでしょうか。ちなみに御朱印は宿泊しなくても書いていただけました。ボクは宿泊したときと宿泊せず単に訪問だけのときとどちらでも御朱印をいただきました。上の御朱印は訪問だけのときのものです。あ、どっちの場合も同じ御朱印ですよ。

 宿泊すると、夕食時に蓮華定院や高野山に関するお話、真田氏に関するお話があります。ただ、これは食事しながら聞いてくれと言われましたが、人(しかも僧院の人!)が話しているのに、しかも畳の上に膳を置いたスタイルで正座した方が話されているのに、食事はしにくいですよねえ・・・。