『真田丸』オープニングその① 備中松山城その①
『真田丸』が最終回を迎えたので、そのオープニングに使われている場所をご紹介します。
最初は鏡池、それから米子大瀑布、岩櫃城と続いて出てくるのが、備中松山城です。
備中松山城といえば、城にちょっと詳しい人ならすぐにピンとくると思いますが、全国に12しかない現存天守を持つ城です。真田丸のオープニングにもここの天守が出てきます。臥牛山に建っていますが、もともとは松山と呼ばれていたので松山城というわけです。
有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭であった秋庭重信氏が建造し、その後、1683(天和三)年に水谷勝宗によって修築されています。
現在、駐車場から鞴(ふいご)峠までワゴン車で移動し、そこから備中松山城まで徒歩で登るようになっています
。赤で示してあるところです。
けっこうな斜度の山道を登らなければなりません。道は歩行者用と右側に見える自動車用のアスファルト舗装された道があります。どちらが楽ということはありません。歩行者用もしっかりとコンクリで舗装されているので歩きやすさも同じくらい。それなりの山道ですので、スニーカーなどの歩きやすい靴は必須です。
どんどん登っていくと、中太鼓櫓に出ます。
さらに登ると上太鼓丸に
出ます。すばらしい野積みの石垣。こんな山の中にこれだけの石垣を積み上げたというのは驚きです。実はまだ序の口ですが。
いよいよ大手門が見えてきました。
斜面を登ってきたので、余計に大手門が壮大に見えます。しかし、感動はまだ先でした。
おお!!
これを見上げた瞬間、真田丸のオープニングが聞こえてきたような気がします。塀は当時のものではなくて再現ですが、実際にこんな感じだったのでしょう。OPとは違い、滝は流れていません。あれはCG合成です。
大手門には建物は残っていませんが、左右にある石垣の上に櫓門が建っていました。うーん、これだけの櫓門、しかも急斜面からのアプローチなので、上から一方的に攻撃されそうです。
大手門を抜けるとそこには段々畑状態の石垣が連なっています。
大手門から先は正面の櫓をぐるりと回らなけばなりません。この間、櫓からの攻撃にさらされるわけです。
ここで土塀を見て、「ん?」と思った人はかなりの上級者w
この手の土塀は山の斜面を登り切ったところに建てられているはずです。だから塀の外は下への斜面。つまりこのような銃眼は下向きに作らなければなりません。この銃眼だと水平にしか打ち出せない状態です。これは水谷勝宗が松山城を修復したとき、すでに太平の世になっていて、銃眼のことをよく知らなかったためにこんなのになってしまったのです。うーん、単なる模様ですなw
うーん、めっちゃ段々畑・・・。これを攻め上るのかと思うと攻め手側は一気に萎えちゃうでしょうねえ・・・。
これが大手門正面の櫓の跡から見下ろした写真です。下から見上げるよりも高く見えて足がすくみます。
まだ大手門までしか来ていませんが、ちょっと写真の枚数が多くなりすぎたので、今日はここまで。(実際にはここまでで100枚以上、写真を撮っています)